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心筋梗塞を体験して
   
3大疾病といえば、がん・急性心筋梗塞・脳卒中、を指し、 成人病予防として日頃の心掛けが大切と言いながら自分でも、その一つである急性心筋梗塞に襲われました。  誰にでも起こり得る病だそうで、どんな体験をしたか参考になればと思って記録してみました。

(1) 心筋梗塞になってしまった
(2) 心筋梗塞になった瞬間と手術までの経緯
(3) 手術後の経過
(4) 普段の生活に戻ってから


[ 2008-12-23 ]




心筋梗塞になってしまった
   
 懐かしいヒット曲を数多く世に送り出した作曲家の遠藤実さんが12月に急性心筋梗塞で死去されご冥福をお祈りしながら、突然やってくるこの病の怖さを改めて思い出します。  私も2年前に同じ病名の急性心筋梗塞という恐ろしい病に襲われました。

 心臓は3本の冠動脈という血管から血液を得ているそうですが、私の場合はその内の1本の冠動脈が詰まり血液が十分に供給できなくなってしまったということです。
血液が行きわたらなければその部分の心筋細胞が時間の経過とともに次第に死滅していき、心筋梗塞の程度のよっては、やがて心臓が停止してしまうという恐ろしい病気に見舞われたのです。  冠動脈の閉塞によって心臓の一部への血液供給が大幅に減少したり途絶えたり、その状態が2〜3分以上続くと心臓の組織が徐々に壊死していくそうです。  死滅した心筋細胞は復元できないそうだから一刻を争って血流を元に戻さないと後遺症その他、大変なことになります。  心筋梗塞の場合は救急車で運ばれても致死率が30%という数字を後から聞いて驚きました。  突然襲いかかってくる病だから、いつ何処で襲われたかによって生死を分けることになるかもしれません。  私の場合は幾つかの幸運が重なって極めて短時間で処置して頂いたので大事には至りませんでした。

 冠動脈がつまる主因は動脈硬化であり、その多くが高血糖・高コレステロール・高血圧・肥満・喫煙などによると言われます。  毎年欠かさず人間ドックで検査を受け、これと言って何一つ指摘されたことのない私にとって唯一該当するのが喫煙でした。  1年前の人間ドッグのデータを振り返ってみるとLDL(悪玉コレステロール)が基準よりやや高め、LDH(肝細胞の障害の程度を知る指標)もやや高い値になっており、 それらが予兆を示していたのかもしれないが、基準を多少超える程度だったので気をつけよう程度で済ませていました。  一方、1日15〜20本程度の喫煙量でしたが量に関係なく血管にとっては大敵だったかもしれません。  冠動脈を詰まらせる殆んどが血栓(血液のかたまり)だそうで、そのうえ喫煙によって血管が狭くなっていれば詰まり易くなる。  煙草は息抜きの一服であって死のリスクを負ってまで吸うものではないので、これを機に何の抵抗感もなく禁煙できました。  そのうえ勝手なもので今では煙草の匂いを嗅ぐだけでも嫌な気分になるくらいになりました。  もっと早くに自覚しておけばよかったという反省の弁。

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[ 2008-12-23 ]




心筋梗塞になった瞬間と手術までの経緯
   
 何の予兆もなくある日突然に心筋梗塞に襲われました。 それは古希を迎える2週間前のことで、 今から2年前の10月14日(土)の午前9時半のことでした。 薄っすら紅葉がかった庭木を眺めながら、 今日も元気でタバコが旨い、といった感じで吸い終えて立ち上がった直後でした。  急に胸が苦しくなり、痛むというより胸を絞めつけられるような重苦しさでした。  同時に立ちくらみのひどいやつという感じで目の前が二重三重に見えたかと思えば、 辺りが真っ暗になり思わずしゃがんでしまった。  しかしその間は僅かでおそらく20〜30秒間くらいだっただろうか、それを過ぎたらすっかり元に戻ったような気がした。  ところが気が付いてみると汗びっしょりの状態、頭から、首から、顔から、まさに滝のように汗が流れ落ちてるではないか、 その様子を見てただ事ではないと察した家内がすぐ救急車を呼んでくれました。 とにかく頭から流れ落ちる汗を思い出し、 まさか脳梗塞ではないか、いや胸が重苦しいから心筋梗塞ではないか、など想像だけが脳裏を駆け廻ったが、 暫くして救急車が到着したときは何事も無かったかのように治まっており胸の重苦しさだけは何となく残っている程度でした。

 一般に心筋梗塞の発作があると直ぐに心不全の状態になって呼吸困難や意識が薄れたり、 苦しくて自分の症状を話せなくなってしまう場合があるそうですが、私の場合はそこまではいかなかった。  これだったら自分で病院へ行ける、救急車で搬送されては申しわけない気がしていましたが、これは無知が故の発想であった。  起き上がろうとしたら動かないでください、と言いながら駆けつけてくれた救急隊員の対応は素早く、 救急病院へ向かう途中も、病院と連絡を取り症状のポイントを詳しくに伝えておられた。
 病院までは乗用車でも8分程度の距離だから救急車なら5分程度で着いたのではないだろうか。  病院では既に担当医他看護師さん数名は待機していてくれました。
応急検査の結果、病名は急性心筋梗塞と断定、時間の経過と共に心筋細胞が徐々に死滅していくわけだから迷う余裕はない、 即手術の同意を求められた。 救急ベッドに寝かされたままであったが、 その時は既に手術台に乗せられていたのではないかと思う。 上向きの状態で同意書にサインしたことを思い出します。

 カテーテル手術について、先生が家内に説明している話し声が聞こえる、必ずしも成功するとは限らないらしい、 何やら話声の中に五分五分という声が聞こえてくる。
そういう状況になると意外と度胸が据わるもの、何を考える訳でもなく落ち着いた気分で手術台に横たわっていたものです。  手術開始は10時5分ころだったので、心筋梗塞発症から30分後には手術台に乗っていたことになり、 これだけ早急に手術ができるのはかなり幸運が重なっての結果だろうと想像しました。  しかもこの病院、心臓病では全国的にも名の知れた著名な病院である、落ち着いていられたのもそのためだったでしょう。  カテーテル手術なるものは以前にテレビで見たことがある、その時は外科医学の進歩の凄さに見入っていたが、 今その手術を自分が受けるとは想像もしないことでした。

 手術の内容は、私の場合は右手首の動脈からカテーテルという細い管を血管内に挿入し、 TVモニターで確認しながら心臓入口の冠状動脈まで送り込んでいく、 要するに血管の詰まっている箇所を掃除することである。  そのカテーテルを挿入する手首だけの局部麻酔のため意識はハッキリしている。  手術台には上向きで寝たままの状態、いつまでたっても手術らしい様子が伝わらなかったので、 先生に今何しているんですか聞いてしまった。  カテーテルが心臓まで届いておりもうじき血液が正常に流れるようになるよ、 との答えが返ってきたときは急に元気が出てきました。  そうなんだ、血管の中は神経が通っていないから痛くも痒くもないんだ。
手術中の先生の邪魔をしてはいけないが医学の進歩の凄さを話し掛けてしまった。  ときどき体内がカーッと熱くなるが血管を鮮明に映し出すために造影剤を注入したときだそうで、 このときは眼の辺りまでポーッと熱くなる。 私の場合は1本の冠動脈入口のところに血栓が詰まっていたそうで、 それを除去すると血流が元に戻り、同時に胸の重苦しさはウソのように消え去りました。  詰まっていた血栓の大部分は回収できるが細かいのはどこかへ飛んで行ったそうです。  最後に狭窄していた血管を広げてるためステントと呼ばれる合金のメッシュが埋め込まれて手術は無事終了。  その間、1時間弱であったと思う。

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[ 2008-12-23 ]




手術後の経過
   
 調子に乗ってはいけないが予想外に楽でした、痛いとか苦しいところなどどこもない、日常と何ら変わりない、 この分なら入院せずして帰れるかと安易に思ってしまった。 その無知加減があとで看護師さんに怒られる結果につながる。
 手術終了後に運び込まれたのがICU(集中治療室)でしたからビックリ、そして24時間絶対安静、 寝返りぐらいはいいが起き上がってはいけない、という指示に更にビックリ、やはり大病であったことを再認識。  この24時間は辛く、一日はこうして終わった。 翌日の昼食が出た、28時間ぶりの食事である、 病院食がこんなに美味しいとは思わなかった。  自分の足で歩いてよいと許可が出たのが2日目の午後、ICUから一般病棟へ移されてからでした。  本人は普段と変わりない体調に戻ったと思っていても周囲が許してくれない、 夕食だけが楽しみであとは長々しい夜を退屈なままに過ごしました。
 3日目はさすが快調そのものに思った、テレビを見ていても退屈なこと、 丁度そのころはインドのIT企業さんの頼まれ仕事のアルバイトをしている最中だったので、 また怒られるかもしれないが、ノートパソコンを病室に持ち込んではダメかと主治医の先生に聞いてみた、 先生、笑いながら、まぁいいでしょう、とお許しが出た。 早速に家へ電話して持ってきてもらった。  これ一台あれば仕事ができてします。 その日の午後にはご丁寧にその会社の秘書さんが見舞いに来てくれた。  しかも社長さんのメッセージまで添えてあった。 ここまでしてくれるのだからその分は仕事の成果で報わねばならぬとの思った。

 毎日の心電図や血液検査によればここまでの経過はすこぶる順調とのこと、明日の朝の様子によっては退院できるかも、 との先生の言葉に一瞬拍子ぬけしたような気持ちになったが明日からの予定が立てられることを喜びました。  4日目早朝の検査結果も良好、そして午後退院の許可が出た。 退院直前には手術中に撮影された心臓辺りの血管の様子を示す映像を見ながら詳しく説明され、 その話を聞けば聞くほど心臓病の怖さを悟った気がします。 結局3泊4日の軽い入院で済みました。
とにかく今回の心筋梗塞になってからカテーテル手術までが理想を超えて迅速に対応して貰えたのは好運だったと思っています。  異常に気付いた家内が直ちに救急車を呼んだこと、その救急車が数分で来てくれたこと、 心臓病で著名な総合病院が家の近くにあったこと、その病院がすぐ受け入れてくれたこと、 カテーテル手術のベテラン医師がたまたまその場に居合わせたこと、 など幸運が重なったお陰で軽い心筋梗塞で終わったすべてに感謝した。  あとで主治医先生に聞いた話の様子から、1時間遅ければ、 2時間遅ければ、・・・、処置が遅れる時間の経過と共に加速的に危険状態に近づくことを想像すると改めて心筋梗塞の怖さを知ることになりました。

 クレアチンキナーゼという値がある、これは筋肉に多量に存在する酵素で、 筋肉細胞の代謝に重要な役割を果たしているそうだが、 急性心筋梗塞のように冠動脈が詰まって血流が滞ってくると心筋が衰える、 つまり筋肉の病気ではクレアチンキナーゼ(CK)が大量に血液中に出現して高値になると言います。  この値が高いことは筋肉の細胞が壊された程度を意味するようです。 私が救急車で運び込まれたとき、 この値が600IU/リットルだったそうで、心筋梗塞で運び込まれる患者の中では症状が非常に軽い状態、 これが2時間経過後に運び込まれていたら、かなり高い値になっていただろうと言われました。  そして入院も10日、15日と長引くことになる。  ましてや1回目の発作を我慢して2回目の発作で運び込まれると厄介なことになる。  私の前に救急車で運び込まれて手術した人は、この値が高度に上昇し3000近くを示していたそうで、 勿論死の危険は避けられても回復までにもかなり時間を要するそうです。
検査の精度が上がるにしたがって最近ではマラソンなどの非常に強い運動でも筋肉が壊れるためにCKの値が上がることが分かってきたそうです。   何れにせよ、心臓発作は現代人の誰にでも起こり得ることで、発作の起きた瞬間的な苦痛を我慢して放置せぜ直ぐ病院へ駆け込むことが無難、 2度目の発作が起きた時には危険域に達している可能性も十分あり得るようです。

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[ 2008-12-23 ]




普段の生活に戻ってから
   
 退院後の最初の10日、1ヶ月、と次第に薬の量は減ったが、2年経った今も欠かさず服用する薬があります。  「コレステロールや中性脂肪の量を抑える」、「血液が固まりにくく血栓ができるのを抑える」、「 インスリンの効きを良くして血糖値を下げる」、この3錠を毎朝欠かさず飲んでいる。  これらの薬には副作用も多くみられるようですが、私には相性がいいのか今のところ副作用の症状は見られません。  唯一あるのは体重増加で、ここ2年で6Kg太ってしまった。  禁煙した影響も大きいかもしれないがカロリーオフに努めざるを得ません。 そして今は3ヶ月に一度病院へ行き、 心電図と血液検査を行っているが、主治医先生の異常なしの言葉に安堵しながら暮らしています。
 この病は几帳面な性格の人、ストレスを溜めやすい人などがなり易いそうだから、 気ままな日々の暮らしの中で極力のんびり過ごしたいのですが、 毎日のように伝わる暗い世相の報道に心を痛めずにはいられないのが現状で、 一刻も早く景気が回復し平和な暮らしに戻るよう願っています。

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[ 2008-12-23 ]